イベントを100倍楽しむために

イベントの趣旨を貫く

「イベント」とは、その「カルチャー」を体現したものでなければいけません。そのカルチャーが存在し続けるために必要な「場」であるということです。

イベントには必ず「趣旨」があります。つまり、「テーマ」があります。「テーマ」とはそのカルチャーを体現したものです。それは「ジャンル」でなくても構いません。「地域」に特化したテーマでも構いません。「地域」に特化して、その「地域」のさまざまな文化を紹介することでも構わないのです。ただ、必要なのは「節操を持つ」ということです。つまり「絞る」ということです。「なんでもいいから並べておく」ということではいけないということです。

なんでもいいのでひとつの場にアーティストを並べる、なんでもいいのでそこに「何か楽しめるもの」があるということではいけないのです。それは「イベント」ではあるものの、「誰が来るのか」ということを度外視したものです。この悪い例は、音楽系のライブイベントです。「なんでもいいからアーティストを並べた」ということは、一番タチが悪いのです。そして、肝心な「収益」の部分も「各アーティストがノルマを支払うので」という理由でまかなえてしまう、ノルマを少しずつ上乗せしているので、開催するだけで「黒字」ということであれば、ただブッキングするだけで黒字になってしまうのです。

それは「ビジネス」としては失敗していないのかもしれません。ただ、イベントとしてはその場に「アーティストしかいない」ということであれば大失敗です。カルチャーがそれを楽しもうとする人と交じり合わないからです。ただアーティスト同士の社交の場になってしまうということです。それではイベントが存在する意味がないのです。ただアーティストをかき集めて、ノルマを払わせて、利益が出た、ただ客は全然集まっていないということであれば、それはイベントですらないのです。ただアーティストからお金を徴収しているだけです。

音楽イベントにおいては不思議とこの「ノルマ」というものをアーティストから徴収することが「常識」になってしまっていて、実際のお客さんが支払うチケット料金ではなく、アーティストが出しあうノルマが重要な収入源になってしまっていることがあります。これが「当たり前」なので各アマチュアアーティストもノルマを支払ってしまうものなのですが、これではいつまでたっても「知り合い」しか来ないのです。カルチャーと、まだそれに出会ったことがないアーティストが繋がらないのです。

イベントの趣旨として、「ノルマで賄おう」というものは意味がありません。そこに確固たる「カルチャー」が芯としてなければいけないのです。それがないイベントはイベントではありません。イベンターが集金するための「仕組み」でしかありません。誰も楽しくない、そしてイベンターが少しの利益を残してまた次のブッキングを行う。そのようなイベントなどは存在する価値がないのです。

イベントのテーマはなんなのか、イベントの趣旨はなんなのか、誰に対してどんなカルチャーを見せたいのか、それが大切です。文化を広げようとする試み、それがイベントなのです。それを忘れたときにイベンターはただの「ビジネスマン」になります。それも、規模が小さい、ケチなビジネスマンです。

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