イベントを100倍楽しむために

イベンターとお客さんの間にあるもの

イベンターとそのイベントに参加する「お客さん」の間にあるもの。それは「イベント」にほかなりません。なんのために人がそこに集っているのかというと、そのイベントを楽しむために他なりません。

人は退屈が苦手です。私たちは常に何かを考えています。何も考えずにいられるのは寝ている時くらいのもので、その他は常に何かを考えていたり、外部から得られる刺激、情報に身を任せていたりするものです。「時間」は、私たちにとっては不思議なものです。「早く過ぎてくれ」と願う時間もあれば、「このまま時が止まってほしい」と感じる時間もあります。それでも等しく、同じ時間が過ぎているものなのです。私たちはその時間を共有しながら、同じ時の流れを生きています。

それらの時間の流れは私たちにとっては残酷なものであったり、有益なものであったりします。時が過ぎたためにできなくなること、時が過ぎたがために解決すること、さまざまな物事が「時間」に左右されるものなのです。それらのひとつひとつを噛み締めながら、私たちは人生を謳歌しているのです。

「イベント」は、そのような時間の使い方のひとつです。限られた時間のなかでどれだけ楽しめるか、限られた時間のなかで、支払った金銭に対してどれだけの感動を得られるか、それがイベントに参加する際に考えることです。イベントの会場に赴くまでの時間、それに要した労力と交通費、イベントで費やした時間、それらすべてが、そのイベントで得られるもので相殺、あるいはイベントで得られるものがそれらを上回らなければ人は動かないものなのです。

イベンターと観客の間にある「イベント」が、そのような価値がなければそもそもイベンターと観客の間の関係は成り立ちません。「興味」が持たれなければ誰も参加しないのです。興味がないものに時間などは浪費できないのです。それが私たちです。それが集合したものが大衆の真理です。私たちは残酷なものなのです。そのようなことがわかっていて、それでもイベントを開催するのがイベンターです。「友達だけを呼んで、仲間内だけでワイワイ楽しむ」というようなイベントは、イベントではないのです。

誰が観ても頷くようなイベント、それがイベンターとして求められる大前提です。そのようなイベントは簡単にはつくりあげることはできないものです。それはイベントが自分だけではなく、さまざまな人との「関わり」で感性するものだからです。つまり、「コミュニケーション」が円滑でなければ、そのイベントは成功することはないということです。スタッフ、そして出演者や展示物の提供者、さらにはその場に足を運んだお客さんとも、良いコミュニケーションをとることが、イベントが成功するということなのです。「分かる人だけわかればいい」というような考えは、足を運んだお客さんに対してとても失礼なことです。イベンターとしてプライドを持つのであれば、誰が見ても納得できような、頷けるようなイベントを作ることが大前提です。

人に観てもらうということ、人に楽しんでもらうということは、簡単なようでいて実に難しいものです。人の好みはたくさんあり、また「好き」でなければ好意的に見ることができないからです。

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