イベントを100倍楽しむために

イベンターとは究極の裏方

「イベント」とはなんなのか、ということをもう一度考えてみてほしいものです。カルチャーが混ざり合うその「場」を演出することは、一体どのような意味があるのかということです。

誰がそのイベントを見に来るのか、そのイベントを運営する目的は何なのかということ、収益がどれくらいでて、また同じ趣旨のイベントが企画できるのかどうかということなどです。「イベンター」は「場」を提供するだけです。実際に盛り上げるのは出演者であり、実際に盛り上がるのはお客さんです。そのようなことを考えていくうちに、「イベンターとしての自分はなんなのか」ということに思い至るはずです。もちろん、出演者をブッキングしたり、会場を手配したり、そのイベントが実現できるための段取りを組んでいるのはイベンターです。ですが、それは「どういうことなのか」ということです。

答えは、「イベンターは裏方」だということです。カルチャーが一気に爆発するその「場」を提供するのはイベンターであり、そのカルチャーが爆発しやすいような「仕込み」をするのもイベンターです。ですが、実際にその場を作るのは出演者と観客です。イベントが始まれば、そのメイン部分、エンターテイメントに関する部分はイベンターの手を離れているのです。そのような機会を提供したことは事実で、その段取りのために時間もかけたことでしょう。対する出演者は数多く出演するイベントのうちのひとつとして出演しているのかもしれません。そのイベントにかける想いのようなものは、イベンターが一番抱いているのかもしれません。ただ、それでもイベンターは「裏方」なのです。そのイベントはイベンターのものではないのですが、一番イベントのことを考えているのが「イベンター」だということです。

それはとても残酷なことのように感じられます。「企画」したことを実現するために奔走しているものの、実際に始まってしまえば自分ではどうすることもできないということです。それでも「イベンター」として企画をやめないのは、そのような「場」を提供することが楽しいからでしょう。それは「裏方でも良い」ということなのです。自分はなんらパフォーマンスをすることはできないし、その場を盛り上げる手段を持たない、ただそのカルチャーが好きであり、さまざまな人にそのカルチャーに触れてほしいし、楽しんでほしい。と考えているからなのです。だから裏方でもいいのです。

イベンターという立場を愛するということは、その「カルチャー」を愛するということでもあります。「段取り」というものは地味なようでいて重要なことです。段取りがなければその「機会は得られないのですから、「誰かが」それを行う必要があるのです。自分はその「誰か」でいい、ただそのカルチャーが花開くところを観たい、その場を作りたいという気持ちが、イベンターにとって必要なものなのです。

自分が表に立ちたいというような考えがあるのであれば、それはイベンターには不向きでしょう。イベンターは「裏方」であるのは永遠のものです。ただ、「企画」が成功したときの達成感は誰よりも深いものになるでしょう。それがイベンターの醍醐味であり、アーティストでは得られないものなのです。

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