イベントを100倍楽しむために

文化祭もイベント

私たちが自身で企画し、自身で運営するイベントの代表格が「文化祭」などの「学校行事」です。学校で執り行われるそれらのイベントの存在理由は、成長して考えてみると改めてよくわかるものです。

さまざまな教育的観点からそれらの学校行事は存在するのですが、中でも「文化祭」は、まさにティーンエイジャーの中に潜む爆発的な芸術性を発揮する場であるといえるでしょう。それらに気づかせてくれる場、それらを遺憾なく、「学校」というルールだらけであるはずの「日常」で展開できることが、学生にとってみると唯一無二の「価値」といえるのです。

その後芸術やエンターテイメントの道に足を踏み入れることがなかったとしても、文化祭で得た経験は必ずどこかに息づいているものです。「なにかをしよう」という、その「なにか」から考える企画力、そしてそれを「実現」させるための「計画」、さらにはその計画を実践する「行動力」、実はそれらは大人になってからも必要なものです。生きていくために必要な要素であり、「大きく羽ばたくためには欠かせない要素」でもあります。そのようなものを学ぶことができる「場」や「機会」というものは通常の学校生活ではなかなかないもので、一年に一度しかないその機会を逃すことはとてももったいないことなのです。

「アート」と「規則」はなかなかバランスが難しいものでもあります。相反するそれらの2つが混ざり合う「文化祭」という「イベント」は、日頃勉強や校則に縛られたティーンエイジャーを開放する「ガス抜き」のようなものであるのかもしれません。ただ、それらの「ガス抜き」にも「限度」があるということを、学校の文化祭では学ばせてくれます。実際に、世の中に溢れるさまざまな芸術とその「本質」が、実際の法律と相容れないということも多く、その「道」をリアルに実践しようとすると法律に違反してしまうということも多いものです。それでも「その道」で生み出される「アート」は誰もが楽しむことができますし、そのアート自体を否定することはできません。

「芸術」と「規則」というものは、時にはそのバランスがとても重要になることもあるのです。そのバランスが崩れてしまうと、たちどころに「犯罪」に手を染めてしまうことにもなりかねません。文化祭などのイベントで、教師などの「監督者」が立ち会いの元なにかを作り上げたり、カルチャーを爆発させたりすることは、将来そのようなアートに関わる際に大きな「経験」として残るものです。生きている間にはさまざまな「ルール」があり、ともすればそれが「抑圧」になってしまうこともあるのですが、そのような「抑圧」が大きな反動となって一気に「アートとして」噴出することができるのだとわかるものです。

イベンターは多かれ少なかれこのティーンエイジャーの頃の経験を覚えているものです。何かを企画すること、そしてそれは「人を楽しませること」であるという前提。さらにはその「道」に浸かることと「ルール」の狭間は、言葉では表しきれない「バランス感覚」が必要であるということなのです。

イベンターとして何かを盛り上げたいと願うのであれば、誰もが「カルチャー」に飢えていたティーンエイジャーの頃を思い出してみるといいのではないでしょうか。

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