イベントを100倍楽しむために

世の中にはさまざまなイベントがあります。私たちは自分が興味のある分野や魅力を感じるイベントには費用を支払ってでも参加したりするものです。

イベントには「特別」という価値を感じているものです。そのイベントでなければ得られない高揚感や興奮などというものが確実にあるのです。私たちは無意味なこと、無意味なものに対価を支払ってまで参加したいとは考えません。イベントに参加する際は何らかの「価値」を必ず感じているものです。つまり、イベントを提供するということは価値を提供するということです。イベンターは、参加してくれるお客さんに期待値以上の価値を提供しなければいけないのです。

私たちは楽しいこと、興味深いことに対して貪欲です。そんな私たちの「目は」日に日に「肥えて」きています。より楽しいもの、より興味深いもの、より趣向を凝らしたもの、より「価値のあるもの」をどんどん求めるようになっているのです。そんな私たちに提供する「イベント」は、とてもシビアなものです。イベントを運営するということは、「興行」です。誰かに来てもらう、誰かに見てもらうことではじめて成り立つ「ビジネス」なのです。誰も来ない、誰も興味を示さないイベントは「価値」がなく、ビジネスとしては成立しないのです。

世の中でさまざまに企画されているイベントのひとつひとつがビジネスであり、その集客によって収益が変わってくるのです。そのようなイベントを楽しむ私たちには、残酷なことにそんな「ビジネス」などは関係がないものです。つまらないものは「つまらない」で済ます残酷さが、私たちにはあるのです。

イベントは「その時だけ」という限定感があります。限定されているから、より「価値」が生み出せるものなのです。集客出来て、そして観た人たち全てが「良かった」と思えるようなエンターテイメントを提供することが、イベントに求められる最低限の、そして究極の命題でもあります。人の好みはさまざまあるものですが、そのような「細分化された好み」の壁をぶち破り、沢山の人に同じ感動を届けるのがイベントの使命です。どのようなイベントでも、「つまらない」と言われてしまえば価値がなくなるのです。

イベントを楽しむ側も、最大限にその「瞬間」を楽しもうとするものです。そのイベントの背景や展示物、出演者のことを深く知ったり、仲間と共にその瞬間を共有したり、人によって楽しみ方があります。私たちのそれぞれが自分なりの楽しみ方を持っていて、そのどれもが「正しい」イベントの楽しみ方ということになります。そして、そんな私たちのひとりひとりも含んで、その「イベント」が形成されるということです。提供する側、それを楽しむ側がひまとまりになって「イベント」です。お金を払ったからといって、客が周囲に迷惑な行為に及ぶようなことがあってはいけませんし、イベンター側もそのようなことにならないように配慮するものです。

イベントを楽しむためには、自分も、他のお客さんも、そしてその場、その瞬間、提供されているモノすべてを包括して「楽しむ」という姿勢が必要です。自分もイベントを構成する重要な要素なのだということを意識したうえで、そのイベントに参加するといいでしょう。

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