イベントを100倍楽しむために

同じことを繰り返すとイベントはつまらない

定期的に開催されるようなイベントがあります。それはイベントを運営するうえである程度安易的に収益をあげられるようなイベントなのでしょう。毎回集客も見込めて、出演する人、展示物にも恵まれているということです。

「イベントのファン」というものはなかなか作りづらいものです。そのイベントに来ているお客さんは、「目的」があってそこにいるものです。例えばお気に入りのアーティストが観たいということなどです。それらの「目的」は、そのイベントの存在意義と合致しない場合が多いものです。その日、その時だけはそのイベントでしかそのアーティストや展示物を観ることができないから「そこに足を運んだ」ということであれば、別にその後もそのイベントに足を運ぶ理由がないのです。

イベントとして「成功する」ということは、その日に大いに集客して大いに盛り上がって終わることはもちろんですが、「カルチャー」として人に認知されることが大切です。カルチャーとして人に認知されるようなイベントになるということがどういうことかというと、「そのイベントに行けば自分の好きな何かが得られる」と人に感じてもらうということです。つまり、特定の分野、特定のジャンルが好きな人であれば、その場に足を運べば自分の知っている人が出ていなくても「楽しめる」ということです。

エンターテイメントは難しいものです。「大衆向け」といわれる誰もが楽しめるようなものはある意味「色物」です。それは一時的なブームで終わってしまったり、時代の流れとともに流行っては廃れていくといった推移をたどったりします。多くの人はその分野が特に好きだったわけではなく、「流行った」その特定の人物だったり団体だったりが好きだったわけです。ですから、あまりメディアに出ることもなくなってしまえばあっという間にそれらの人のことを忘れてしまうでしょう。

カルチャーとはそのようなものではありません。どのような芸術にも「道」というものがあります。そのような「道」は多くの先人が踏み固めてきたものでもありますし、その「道」を歩む人が新たに創出するものでもあります。どちらにしてもそれらの「道」を愛する人にとってはそこに属するさまざまな人、さまざまなモノが親しみの対象になります。

イベントもそのような「道」に特化することで、「カルチャー」として確立させることができるのではないでしょうか。そのイベントを人に受け入れてもらうためには、まずはその「道」を見いだすことが大切なのかもしれません。それは「ジャンル」であっても、何らかの「括り」であってもいいのです。例えば「10代の人しか出演しない」であるとか、地域で区切るだとか、出演者は女性限定であるとか、そのような理由でもいいのです。イベンターが定めたそれらの「筋」に対して共感できる人、気に入ってくれた人が、はじめてそのイベントの「ファン」になるのです。

そこからがようやく「イベント」として安定軌道に乗り始めるスタートラインです。そしてそこからは「毎回同じ」であるとせっかく捕まえた「ファン」を逃してしまうことになるでしょう。誰もが「新しいもの」を求めるものです。道を踏み外さない程度に、斬新なものも取り入れるということが、イベントに求められる「変化」なのです。

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